「フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ」を想う
~東宝特撮後期のミューテーション・モンスター・フィルム~
比較的最近になってLDを手に入れた事もあって、「サンダ対ガイラ(1966)」を再見する機会があったんですが、久しぶりに観ると、結構面白かったんでびっくりしました。なんかこう、全編に緊迫感がみなぎってるっていうか、ダレ場が殆どない、いい感じに刈り込まれた作品なんですね。
この作品、ご存じの様に前年公開された「フランケンシュタイン対地底怪獣(1965)」の続編的作品で、当時エンターテインメント化、アイドル路線化が進んでいた国産怪獣対決路線と比較すると、一応格闘対決路線を標榜してはいるものの、かなりアダルトでダークな世界観を持ってます。こういうカラーは円谷英二のポリシーでもあった「健全」さを前面に押し出した東宝怪獣映画の中では全く異質で、東宝特撮の系統でいうと、実は「マタンゴ(1963)」で途絶えた変身人間シリーズの延長線上に、これら2作品は位置するんじゃなかろうか?と思います。
この辺のシリーズ毎のカラーの違いって、究極的には担当脚本家のカラーの違いに集約されるのかも知れません。改めて見てみると、アイドル化路線を突っ走っていたゴジラ作品は実質的復帰作である「キングコング対ゴジラ(1962)」以降、その殆どが関沢新一氏の脚本担当なんですね。そしてその「陽」の関沢ワールドと対局を成す様な「陰」の世界観を持っていたのが、本作品の脚本を担当した木村武=馬淵薫氏(本作品では本多猪四郎氏と共同脚本)になる訳です。
馬淵氏は中期~後期東宝特撮映画の脚本に於いて、関沢氏と並ぶ二枚看板でありながら、実際にゴジラ作品の脚本を担当するのが、怪獣映画の総決算とも言える「怪獣総進撃(1968)」(しかもこの作品ではゴジラは殆どゲームの「駒」の様に扱われている!)と従来のゴジラのイメージを破壊した「ゴジラ対ヘドラ(1971)」(坂野義光氏と共同)ですからね。仲々の屈折ぶりで嬉しくなります。とにかく毛色の変わった作品とSF色の強い作品は大半が木村=馬淵脚本で、個人的に関沢脚本の単独新怪獣作品「宇宙大怪獣ドゴラ(1964)」はぜひ馬淵薫脚本(当時はまだ木村武氏でしたが)で観たかったですね(いやはや…)。
ちょっと脱線しましたが、そういうカラーの脚本家を得、前作からの設定を引き継いだ本作は、久々に大人の為の怪獣映画を作ろうという気概が作品からも感じられて、仲々嬉しいものがあります。前述の様に監督の本多猪四郎氏自らが脚本にタッチしているのも、制作側の並々ならぬ「やる気」を感じます(本多監督の脚本参加って、何と彼の「ゴジラ(1954)」以来であります)。昭和40年代初頭、すっかり善人化してしまった怪獣達に、実は制作側もフラストレーションを募らせていたのではないでしょうか?そういう鬱積した想いが前作、本作という「フランケンシュタイン2部作」の異様な輝きの原動力となったのは事実でしょう。
ただ、そういった作品のカラーと、当時怪獣映画に対する観衆の期待とに結構ズレがあったのは、もうちょっと宣伝で上手いこと対応出来なかったかな?という感じがします。とにかく観衆はいわゆる関沢ゴジラ作品のノリを期待して観に来てる訳でしょうし、本作の場合タイトルもそんな感じですから、実際の作品はちょっと刺激が強かったかも知れないですね。事実、封切館では子供が泣き出して大変な事になっていたなんて話も残ってますし、子供の頃、「マタンゴ」かこの作品を観てトラウマになっている特撮ファンの方々もかなりいらっしゃる様ですしね(いやはや…)。
とにかく、諸々の興行的な部分は置いておくとして、作品的にはこの映画、怪獣対決を描いた東宝特撮の中でも、最も見応えのあるものに仕上がっているんではないでしょうか?
前作ではフランケンシュタインという、怪獣映画にとってかなり異質なキャラクターをそのまま持ち込んでしまったために、どうしても着ぐるみのバラゴンとの間の違和感が拭えなかったんですが、本作ではキャラクターを着ぐるみで表現したために、その辺りの違和感が消えて、観ている側もすんなり世界に入っていくことができます。更に単なる怪獣対怪獣の対決から一歩踏み込んで、サンダとガイラの間に、前作で死んだフランケンシュタインの細胞から分裂し成長したという設定を持たせる事によって、両者の間の因縁、悲劇性という部分をうまく引き出せています。また怪獣化したとはいえ、両者とも人間型の体型で、感情を表した芝居がしやすい事も相まって、従来の動物本能だけで訳もなく戦うという怪獣対決の単調さから、抜け出せている点も大きいです。なお、本作のストーリーは日本の海彦山彦伝説に想を得たという話もあるんですが、実際の処はサンダ、ガイラのネーミング位にしか面影を留めてない感じです。
登場するサンダとガイラのデザイン・造形も、従来の東宝にはなかったかなり直接的に恐怖感を煽るものになっていて、この作品の方向性を象徴するものですね。このデザインの前ではかのマタンゴもかなり可愛らしく思える程です(いやはや…)。サンダ、ガイラのデザインがウルトラ怪獣のデザイナー、成田亨氏の手になるものである事は周知の事実なんですが、思えば「ゴジラ」以降東宝特撮の怪獣デザインを一手に担当してきた渡辺明氏が前年末公開の「怪獣大戦争(1965)」を最後に東宝を退社、自らの特撮映画製作プロ「日本特撮プロ(のち日本特撮映画)」の設立に乗り出した事もあって、この作品、特美デザイナーに井上泰幸氏の名前がクレジットされた最初の怪獣映画になってます。
ただ、怪獣デザインに関しては、井上氏があんまり得意でなかったのか、当時ウルトラシリーズの怪獣デザイナーとして活躍中であり、円谷英二氏とも関係のあった成田氏の起用となった様です。確かに渡辺明氏の退社以降の東宝怪獣、日米合作の怪獣は外部デザイナーによるものになり、東宝オリジナルもエビラ、ミニラ、ガバラ…とちょっと生彩がないですね。
それにしても、ウルトラでは「お化け」を作らない事に腐心していた成田氏がデザインしたサンダとガイラの怖い事(いやはや…)!、やっぱりこの作品あんまり子供向けっていう意識がないんでしょうね。ウルトラシリーズでのデザインポリシーと180度異なるこの2体、確かに成田デザインの系譜から言っても、最も異端の部類であることに間違いないでしょう。特にガイラの顔は演技者の目が直接覗いている事も相まって、アップになると非常に怖いです。映画の中でも人間を食って衣服を吐き出すシーンとか、滑走路をダッシュするシーンとか、従来の怪獣とはかなり異なるリアルな恐怖感がある怪獣です。メーサー殺獣光線車(なんか凄い名前です)の攻撃で全身生傷だらけになったりするのも、東宝怪獣としては初めての描写で、怪獣が血を流す描写を嫌った円谷英二氏の演出作としては非常に異例です。
このシークエンス、殺獣光線で針葉樹がバキバキ切り倒される名カットがありますけど、この描写、元々脚本で書き込まれていたものではなく、円谷英二氏が撮影現場で思いついた演出だという話があります。ともあれこういった特撮演出とガイラ役、中島春雄氏の演技が一体となり、非常に印象的なシーンに仕上がっています。特にガイラが川の電極に流された高圧電流に悶絶するケレン味たっぷりの演技など、俳優中島春雄氏の面目躍如といった感があります。
本作は日米合作の第2弾(前作に比べるとあんまり大っぴらに言われないですが、前作で組んだベネディクトプロとの再提携作だそうです)という事で、海外セールス向けに「ウェストサイドストーリー」等に出演したラス・タンブリンが、前作のニック・アダムス的な役処(スチュワート博士)でキャスティングされてます。ですが、このラス・タンブリン、現場では文句ばっかり言ってたらしく、そんな雰囲気が映画の中でも散見されて、よーく見てると結構興味深い人物です。サンダを捜索に山に分け入ったスチュワート博士がへばって、捜索チームの面々に「ここらでちょっと休憩しませんか?」とか、泣き言言うシーンとか、矢継ぎ早に質問を投げかける間宮研究員(佐原健二)に「どうしてどうしては止めて答えを探しませんか?」とムッとするシーンとか、戸川アケミ(水野久美)が傍らで一生懸命サンダの事を話してるのに、完全に無視して「この辺りから捜索を始めましょうか?」なんて言うシーンとか、結構人間臭い面が演出されてて面白いですね。こういうタイプの主役ってあんまり東宝特撮映画の中には登場しないんじゃないでしょうか?役どころとしては一応ヒーロー的な立場なんですが、なんか結構頼りないヤツみたいで、妙にリアルな人です。
後は、やっぱり東宝フランケン映画と言えばこの人、水野久美嬢でしょう(いやはや…)。「妖星ゴラス(1962)」の頃は、鼻っ柱の強そうな江戸っ子のお嬢さん(ちなみにご本人は新潟出身だそうですが…)みたいな感じだったんですが、「マタンゴ」辺りから徐々に妖しさが出てきて、「怪獣大戦争」の波川女史を経た本作では、非常に憂いのあるいい感じが横溢しております(いやはや…)。特にガイラに追われて崖の途中の木にぶら下がってるシーンの表情って、これは絶品ですね(いやはや…)。
特撮的には前作からの引き続きで、スケールアップしたミニチュアが非常に豪華です。ガイラが海に飛び込むワンカットの為だけに、大プール前にひなびた海岸の集落のセット組んじゃうとか、非常に贅沢なシーンがあちこちに観られます。特に今回は丸の内のビル街での格闘戦も描かれ、同時期の「ウルトラシリーズ」からのフィードバックを感じさせますね。実はビル街での怪獣格闘戦って、東宝特撮では「ゴジラの逆襲(1955)」での対アンギラス大阪決戦以来なんじゃないでしょうか?セットの壊し方も非常に贅沢で、サンダを威嚇するためにガイラが手近なビルに体当たりを食らわせてぶっ壊すとか、大サービス(いやはや…)。自衛隊がビルを背負ったガイラに集中砲火を浴びせ、ビルごと吹っ飛ばそうとするシーンなんて、サム・ペキンパーばりの映像も登場します(いやはや…)。
ビル自体も従来より一回り大きく作られている事もあって、破片の断面が3~4センチはあろうかっていう分厚さ。殆ど石膏の塊みたいで凄いです。こんなのに体当たりするんだから役者さんも大変です。ミニチュア関係でビックリしたのが、ラスト近く、埠頭の倉庫街での格闘戦で、サンダとガイラがもつれ合って倒れ込む大きな塔屋のついた倉庫。実はあの塔は貯水槽で各面が壁で覆われているにも関わらず、なんと倒れる時に中から水がこぼれてるんですよ!これはもう参ったって感じでした(いやはや…)。この拘り、恐るべき東宝特殊美術陣。
そんな訳で果てしない両者の闘いは、市街地から海へと移り、ラストはなんと唐突に出現した海底火山が、この決闘に決着をつける事になる訳ですが。この辺りは東宝の怪獣対決お決まりの展開でちょっと残念。これをみると、あわよくば続編を夢みるプロデューサーのスケベ根性を垣間見る思いで毎回複雑な心境になります。その意味で「キングコングの逆襲(1967)」のメカニコングなんかは版権がらみで再登場が難しかったせいか、異例の決着ですね。
とにかくこの作品において、合作路線は円谷英二晩年の東宝特撮の中でもう一つの潮流として定着し、以降「キングコングの逆襲」「緯度0大作戦(1969)」と、従来の東宝特撮とはひと味違う作風の作品を生みだして行きます。日米演技陣が入り乱れ、吹き替えで流ちょうな日本語を話す外人が闊歩する無国籍世界。更に海外マーケットを意識した題材選定やキャラクター…と、従来の生真面目で純和風な世界観からは明らかな方向転換が感じられます。しかも、関沢脚本の持ち込んだ自由闊達さが間接的に影響を与えたかの様な、ニヒリズムに満ちた世界。その意味でこの「サンダ対ガイラ」は、その世界観の転換によって東宝特撮自身の変質をも触発した、ミューテーション・モンスター・フィルムであったとは言えないでしょうか?
2001.05.20