駄文のゴミ箱
~私が「ウルトラ」に対して抱くジレンマは
果たして永遠なのか?~
最新作、「ウルトラマンダイナ」もようやく離陸、今年も「ウルトラ」に会える幸せを感じつつも、しかし私の心の奥底には、例の「ジレンマ」がムクムクと頭をもたげつつあった…
「ダイナ」は技術的にも、確かに過去のウルトラシリーズとは一線を画す仕上りになっている。美しいCGを惜しげもなく使って描く映像は、時にCG特有の妙なナマっぽさを感じさせはするものの、それ以上に画面にスケールや華々しさを与えているし、特撮は予算枠を感じさせる様な描写がたまにはあるけれど、かなり健闘していると思う。全体として見れば、30分番組としてはかなり豪華な仕上りになっているし、それなりの手ごたえもある。
しかし、今回もやっぱり何か足りない気がする…
「ウルトラ」がその視聴対象の主体に幼児を据える様になって久しい。ストーリーに込められていた作家のメッセージは時と共に弱まり、自分の描きたいドラマを、「ウルトラ」のフォーマットに託して映像化する様な事も、徐々になくなって来た…確かに幼児層に理解させる必要から、ストーリーは単純にならざるを得ないのかも知れない。でも、ストーリーの単純さだとか、作品テーマ性の空洞化だとかは、この際問題ではない。
ドラマ的な世界観から言えば、「ティガ」なんかは結構ハイブロウなドラマであった訳だし、現在の「ウルトラ」においても、物語的な魅力というのは、それほど失われてはいないと思う。むしろ冷静な目で観れば、第一期シリーズの唐突な脚本や乱暴な演出と比べてみれば、「ティガ」や「ダイナ」の脚本、演出のクオリティは格段に進歩していると言えるだろう。
しかし、私の心の中にはなぜか引っかかるものがある。美しい映像や洗練された演出、脚本…それらが織り成す奏べは、その時には心地良くはあっても、決していつまでも留まる事なく、すぐに風の様に通りすぎてしまうのだ…こんな感覚を、実は私はかなり以前から感じる様になっている。
随分前から「ウルトラ」には「センス・オブ・ワンダー」が感じられなくなった。「ウルトラ」は元々SF的な、未知のものに対する恐れや、驚きや、憧れの感覚も内包していた筈なのに、いつしかその感覚は失われ、「ヒーロードラマ」へと変化してしまった。多分「ダイナ」の第1話で私が感じた「戦隊的な感覚」は、「ヒーロードラマ」を指向して来た「戦隊」と、「ウルトラ」がもはや根底において何等変わらないという事を、「ダイナ」自らが、実証していたからではなかろうか?
「ティガ」にはその失われた感覚を再生させるための、萌芽ともいえる感覚は確かにあったと思う。しかし残念ながら、その感覚は初期の話数で消え去り、ドラマとしては盛り上りながらも、私の心の空洞を埋めるには至らなかった…「ダイナ」では路線自体が「ヒーロードラマ」を指向している為に、今迄の処、その萌芽は感じとれない…
今の「ウルトラ」は、本来シリーズが持っていた魅力の、半分しか発揮できていないと私は残念に思っている。ハッとする様な驚きの感覚が「ウルトラ」には必要なのだ。「ウルトラ」は単なるヒーロードラマではないのだと、私は思う。何時の日かその感覚が蘇る時、私にとっての本当の「ウルトラ」は復活するのだとは思いつつ、今日も現実にシリーズが進んで行こうとする方向とのギャップ、そのジレンマに悩むのである…
1997.09.15